考える力を身につけさせたい

 気になる記事を見つけたので紹介.一文だけ紹介するけれど,リンク先サイトを一読してみてください.

常に「(生徒が知らない)正解を大人が知っている」という受け身の姿勢に徹している

考えなくても問題ない,という姿勢が磨かれる
 疑問を持たずに生きていけるなんて,世の中が優しさに満ちあふれているせいだ.自分からわざわざ求めなくても,待っているだけで何かしらの答えが与えられる.天から降ってくる.考えなくても答えが用意されているから,考える必要がなくなっている.
 受験指導の塾講師をしていたときに感じたのだが,生徒に考える力を伝授するような指導はあまりさせてもらえなかった.生徒の親は「成績が上がること」「受験をパスすること」を期待して塾に子供を通わせる.塾側としては「生徒の成績を上げる」「受験をパスさせる」ことが契約条件なので,簡単に点数が取れる方法・テクニック・裏技を伝授する.それを使えば簡単に点数が上がるから.
 でもテクニックばかりを教わる姿勢が身についてしまうから,いつまでたっても考える力が身につかない.「この方法を使えば答えが出るよ」とは教わるが,何故その方法を使うと楽に答えが出せるのか,にまでは考えが及ばない.教える側もそれは教えない.それを教え込むことは時間がかかるし,何よりも面倒くさい.そこに時間を費やしても,一時的に成績や点数が上昇することは望めないから.
 別に塾が全てではない.情報が簡単に得られる世の中になったから,苦労して答えを得る必要がなくなってきているのかも.分からない言葉があればネットで検索すれば出てくるし,レポート課題もWikipedia で難なくこなせる(つもりになる).考えなくても,数ある関門をパスできてしまう.

ではどうしたら良いのだろう
 リンク先の記事でも困っている.そういう学生を受け入れたときに,どういう風に卒論指導したら良いのだろう.自分でも色々と考案してみるけれど,妙案が思いつかない.むー.
 ゼミを通して,考えなければならないのだ・疑問を持たねばならぬのだ,という状況を強制させるしかないのかな.以前の記事で,質問するのが苦手な人について整理してみたことがある.
質問するのが苦手な人が抱える問題.発表を聞いても何も感じない → そもそも質問が出てこない.アンテナが低く,その発表に対する基本的な知識が不足しているために,聞くこと全てを事実のように感じてしまう.小中学校で授業を受けるような気持ちで聞いてしまう.そして発表を聞くときに,質問しようとする姿勢を持たない.
 質問や疑問が生じるには,物事に対してひっかかりを感じる必要がある.自分の思ったことと違うことが起きたときに「そうじゃなくね?」「そこちょっと違うよね?」と感じることが疑問への糸口になる.
 その糸口をつかむには,何かを予想しながら物事にチャレンジする姿勢を見につける必要がある.起こったことをありのままに受け入れる姿勢では,質問も疑問も生まれない.予想する部分が欠如してしまっているのだろう.だから,質問を強制することで,自分の実験や他人の発表への積極的な姿勢を見につけさせるとか.

こういう案はどうだろう
 実験する前に,「どういう結果になるか予想してみましょう」と導入し,実験させてみる.そして出てきた結果に対して,始めに出させた予想と比較させる.そこで何故違う結果になったのか,理由を考えてみてください,と促す.合っているかどうかは重要ではない(正解が無いんだし).自分の思うままで良いから,でっち上げでも何でも良いので,何かしらの理由をひねり出してください,と.何度か繰り返させることで,考えるプロセスを体で理解させてみる.
 しかし,ここまで面倒見なくちゃいけないのか.大変だな.これって中学校の理科の実験を彷彿させる.少しゲンナリ.あと予想通りの結果が出てきたら少し困るかも.

考え抜いて出した答えは最高に楽しいはずだ
 強制力ばかりじゃダメか.強制されてやる仕事なんて楽しくないし.用意された答えに向かって与えられた道をトレースするだけじゃつまらない.考えて出した結果はこんなにも楽しいんだよ,という姿を披露して,それを羨ましがらせてみる,とか.でも,それを見ても何も感じない人もいるだろう.「はいはい,あなたが好きにやってればいいじゃん」とか.こちらのアプローチでなんかいい案がないものか.

 むー.ここまで書いてみたが,良い案が出ない.そういう学生さんが企業に就職していくわけだが,企業の方はどんな風に指導しているのだろうか.考える力を身につけさせるような指導があるのかな.知りたいものである.

追記(2007-02-08
 コメントなどを受けて続き物を書きました.


関連記事のサルベージ