考える力を身につけさせたい・その2

 前のエントリ 考える力を身につけさせたい へのたくさんの訪問,そしてブックマーク・トラックバック,ありがとうございます.もらったコメントの中で「ほうほう」と感じた部分がありました.それをピックアップしながら,「考える」ことについて「考えて」みます.
 エントリの触発元で,『自然な疑問』を持つように訓練するには というエントリも上がっています.解決策を既に持っていたんですね.

試行錯誤すら必要ない生活
 コメントの中で試行錯誤の大切さが述べられていた.
問題はもっと根本的で試行錯誤したことが無いのではないかと思う。そして試行錯誤に美を感じていない。だから思考するときの独特の不安や孤独に耐えられないのではないか。もしくはその孤独を感じるだけであきらめてしまうのではないだろうか。
2月7日のニュース / plotの日記
トライアンドエラーが美しくないことだと考えている人間が多い気がする。もしくはこれまでトライするときには結果を知っていたという場合が多い。考えるという本質を考えなければいけないから堂々巡る。

 コメントの通りだなと思うけれど,《考える力が身についていない》という問題とは少し違うのかな.「エラーが怖いからトライしなくなる → 考えなくなる」というプロセスも勿論あるだろうが,試行錯誤する必要すらない生活を送ってきた人もたくさんいるのではなかろうか.物や指示が次々と与えられ,その通りに進んでいくだけで良い.岐路に立たされないから迷った経験が少なく,困った状況に対処した経験が少ない.だからいざ困ると,どこかから指示が来るのを待つ.
 指示が与えられる生活がずっと続けば,自分から何かを考えることを放棄できる.考えることに費やす労力や時間が無駄になるわけだし,そもそも考える必要もなくなる.答えが用意されてるんだし.
 逆の立場から言えば,そういう生活を強いれば,立派な指示待ち人間を作り上げることが出来る.自分の手足として動いてもらう分にはこんなに都合の良い人間はいない.人一人では手足の数は限られるが,指示待ち人間を量産できれば,自分の脳みそ一つのままで手足が倍以上にできる.
 そういう状況でよいや,と思える人はそれでもよいけど,自分としてはなんかつまらない.

「褒める」を使いながら「考える」を覚えてもらう
 山本五十六の名言「やってみせ,言って聞かせて,させてみて,ほめてやらねば,人は動かじ」.自分が人を指導するときの拠り所の一つ(id:aiakiさんに同意).
 「課題を与えるから,なんか考えてきなさい」と言っても,これまで考えることをしてこなかった人には,そのやり方すら分からないわけだ.考える方法を知らないから考えられない.そういう場合には,考える道筋を教え,考えることの楽しさを伝え,自発的な思考を促していくしかない.時間がかかるけど,そうするしかない.
 その中で大切なことは「褒める」ことだ.何かしらの進歩が見えたらとにかく褒める.褒められて嬉しくない人はいないと信じている.

実践した例
 手前味噌で申し訳ないが,昨年に後輩の学生さんの投稿論文指導を行った話を紹介してみる.卒論でやった内容を投稿論文にした.
 作業は「後輩が執筆した原稿を持ってくる→添削して突っ返す」の繰り返し.何度も繰り返すことで文章が論文として洗練されていくのだが,「全然ダメ」と突っ返しても意味が無い.「ここの○○の部分は,こういう理由で良くない.記述が不十分だ」などと指摘し,最初のうちは「だからこう直すべきだ」と指示を出す.何度か繰り返して手順を覚えてきたら「こう直すべきだ」を減らしていく.自分で何かしら解決してみることを強いる.
 そしてそれをやってきたら,やってきたことに対して,まず褒める.それが自分の想定していたレベルに達していなくても褒める.少しでも考えてきて,何かをなしたことを嬉しい表情で褒める(本当に嬉しかったんだけど).
 そして何度も繰り返すことで考える道筋を覚えていってもらう.「指示を出す→指示通りにやってくる」だけだったのが,最後の方には「指示を出す→指示した事以上のこともやってくる」という状況も出てきた.これはものすごく楽しく嬉しかった.少しずつ成長しているときにきちんとした態度で褒めて嬉しさを伝えていけば,考える力は身についてくる.
 あー.ここまで書いて気づいたが,卒論すら仕上がらない学生さんに考える力を身につけてもらう方法になってないや.そちらについてはまた別に考えてみよう.

おまけ
小学校のとき先生が黒板に無茶苦茶なモノを書いた、絵でもなく字でもない。「これは何だ?」と問われたことがある。「適当に書いたんだ、答えなんてない。でも考えることが大切なんだ」と言われたのを思い出した。
 こういう先生良いな.こういうの目指したい.

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