「研究者にとっての論文十ヶ条」による自省

本エントリのきっかけ

 論文を書くことは大切だ必要だ,と周囲から言われる.それは自分でも分かっているつもりだけれど,その理由をはっきりと伝えてもらえる機会は少ない.リンク先の文書は,どちらもとてもシンプルでわかりやすく,非常に心にきた.研究者の方・研究者を目指す方は一度目を通してみるべきであろう.
 いつか「そんなの言われなくったって,当たり前だよ」と言えるようになりたいものだ.

せっかくなので...
 十か条に従い,今の自分の状況を振り返り,反省したり意見を並べてみたりした.

  • 1.「書かれた論文は書いた人の研究者としての人格を表す」
  • 7.「研究者は書いた論文に責任を問われる」
    • 論文が雑誌に載った時点で「過去の研究」という位置づけにしてしまい,客観的にしか見ていない.もう少し責任感を過去の論文に対しても残すべきか.
    • 以前に出した論文にミスが発覚した際,新たにコメントなり研究ノートなりで訂正を論じることはできる.でも,それを以前に出した論文に反映させることはできない.誰かが昔の「ミス有り論文」を引用しちゃう可能性が残る.ブログみたいに,トラックバックなり関連リンクなりがつけられれば,その危険性が低くなるのに.論文の電子化が進んでいるのだから,このシステムは構築できるのでは?
  • 2.「データのみ出して論文を書かない者は、テクニシャンである」
  • 3.「データも出さず、論文(原著論文)を書かない者は、評論家である」
    • 同意.自分がどういう立場の人間でいたいのかということ.テクニシャン・評論家でいたければ,そう名乗ればいいだけの話.やるべきことをやっていないのに研究者の衣をまとうのは良くない.
    • 今の自分の研究分野だと,テクニシャン・評論家としてだけで生きていくのは難しそう.「研究者と堂々と名乗りたければ論文書けや」ということだな.
  • 4.「研究者は論文を書くことによって成長する。また、成長の糧にしなければならない」
    • 同意.論文投稿に至るまでの文章構築,そして差読者とのやり取りをこなすことで研究者としての考え方・スタンスを学んでいける.初めて執筆した論文で,特にそう感じた.論文を書く作業は自分の成果の客観視にそのままつながるので絶対に必要なプロセスだ.習うより慣れろ.
  • 5.「論文は研究者の飯のタネである」
    • 同意.論文数だけで審査されるのも困りものだけれど,必要最低数があるだろう.今現在の自分は最低数を満たせていないので反省すべき.生産性をあげて今年中に借金を返しましょう.
  • 6.「論文は後世の研究に影響を与えなければならない」
    • そういう意識を持って論文を書くべきだということかな.同じデータ・グラフを持っていても,同じ論文が出来上がるわけではない.結論の結び方なり,結果の見せ方なり,「後世に何かしらの影響を与えよう」という意志を持ちながら書いたほうが良いのかな.
    • でも生きている間に周囲に評価されるとは限らないよな.200年後に評価されるはずだから! と主張すればよいのか?
  • 8.「忙しくて論文が書けないというのは、いいわけにはならず、能力がないといっているのと同じである」
    • かっこいい! 十ヶ条の中で一番心にきた.論文を書いたことのない人なら時間がかかるけど,数をこなせば書き方がわかってくる(はずだと信じている).論文を書く時間を確保することも研究者の仕事の一つだろう.どんなに忙しかろうと,そういう意識を持っていることが必要.
  • 9.「博士論文以上の論文を書けない者は、その博士論文は指導教官のものといわれても仕方がない」
    • 博士論文内容に相当する論文が出切った後の,次の論文が大切だ,という意見を聞いたことがある.もちろん指導教官のおかげという部分もあるけれど,自分が頑張ったんだという評価も欲しい.だとしたら論文で示しなさい,ということか.
  • 10.「研究において最も重要なのはアイデアであり、それが試されるのが論文である」
    • 同意.アイデアの実施で終わらせるのではなく,きちんと閉じることが大切.

やってみて
 思ったよりも何かしらの意見が書けた.他の人の意見も聞いてみたいところだ.何かしら思うことが出てきた方がいれば,アウトプットしてみてほしいなと希望する.
 そして自分の論文執筆欲を高めるために,十ヶ条をうまく利用させてもらおう.