反抗期から見た環境変化への対応

「子供の受け取ってる情報って,僕らとは本質的に違うんじゃないのかな.大人の情報と子供の情報って別物でしょう.感じるものも必要とするものも.情報の処理の仕方も違う.僕,反抗期って子供の情報処理システムから大人の情報処理システムに移行する時の混乱じゃないかって思うよ」
  from 『月の裏側』(恩田陸).

 反抗期をこういう解釈で捉えることもできるのだなあ,と素直に唸ってしまったフレーズ.本や記事を読む際,こういう視点をたがえた物事の捉え方に触れるのが好き.恩田作品はそういったフレーズへの邂逅率が高い気がする.まだ2冊しか読んでないのでそう判断するには材料不足だけれども.



 子供が大人に変わっていくように,生きていれば自分を取り巻く環境は絶えず変化していく.同じ職場・学校にい続けても周囲の人間関係は変わるし,たとえ誰とも会わなかったとしても自分自身の変化は絶対に訪れる(年を取れば体力は落ちる).環境が変われば今までの常識が通用しなくるから,新たなシステムに適応しなければならない.郷に入ったら郷に従え.朱に交われば赤くなる.
 本当に子供の頃は自分の常識が世界の常識と思い込み,自分が思っていることは皆も同じことを思っているに違いないと,そのことに疑いすら感じない.事実,私自身はそういう子供だった(今でもそういう風に勘違いしてしまうことがたまにあるが).
 大人への成長過程の中で自分を客観視できるようになるステップがある.反抗期を紹介フレーズのように見なすのであれば,今までの自分の中で作り上げてきたルール・ポリシー・決め事が,周囲の友達や親兄弟と違うことに気づく時期が反抗期となるのだろう.初めて訪れる周囲とのギャップに戸惑い,困惑し,その不安をどうしてよいか分からなくなることで反抗という態度を取ってしまうのかもね.
 上述したとおり,生きていれば情報処理システム移行が絶えず訪れ,混乱が生じるわけだけど,反抗期を迎えた頃に感じたもの比べれば(当時はその混乱に自覚的ではなかったけれど)たいした混乱ではないのだろう.だから大人になってからは,環境変化に対して反抗期を迎えずにいられるのだ.初めての経験に比べれば,2回目以降は大したことはない.



 フレーズにて,子供を「研究し始めた頃の学部生の自分」,大人を「研究生活を始めてからしばらく経った自分」に置き換えて,今の自分について考えてみた.