安易な「頑張れ」をやめる

「頑張れ」に対する違和感
 「頑張れ!」という台詞を励まし・応援の言葉して簡単に使うけれど,既に頑張っている状況で無責任・無邪気に「頑張れ」と言われると,「もう頑張ってるよ」と思ってしまう.既に一生懸命に頑張っている人を応援するのに良い言葉はないのだろうか.
 だんげさんが,「頑張って」に変わる言葉として「もんまって」というオリジナルの言葉を紹介してた.
元気になって欲しいし、応援、、だとちょっと違うんだが、一声かけたい。 そんなときにつかう言葉 「もんまってください。」 「あなたが疲れていてがんばってるのは知っているので、がんばれとはいえないんだけど、一声かけたいのでもんまりと心穏やかになってくださるといいな」 の略。
 言葉を変えることで印象を和らげて応援するという試み.面白いし好感が持てる.しかし,言葉の説明を入れてしまった時点で「頑張れ」の代替物だと取られてしまう恐れがある.なんか便利な言葉ないかな.

「頑張れ」と声をかけてはいけない相手
 ググってたら,記事をいくつか見つけた.

 コメント込みだと文章が長いので読みきれていないけれど,3番目の記事がわかりやすかった.「がんばれ」を使うべき相手と使わない方が良い相手とを分けている.ちょっと紹介.


正しい使い方: 頑張るパワーのある人が、頑張る方法を自覚して一生懸命に取り組んでいるときに、「頑張れ」と声援を送るのは多いに結構です。
間違った使い方: がんばるパワーがないとか、がんばり方がわからないとか、十分にがんばっているのだけれど成果がないなどで悩んでいる、困難な状況にある人に対して、「がんばれ」と励ます場合。これがかえって逆効果になります。相手の状況におかまいなく、安易に「がんばれ」と言うのは、結果的に「がんばれ」と言った人が、励ましたという自己満足を得るための行為にしかなりません。励ましという形をとりながら、ないものを出せ出せと要求するに等しく、その心が相手を傷つけます。弱っているときには、人の心に敏感になりますから。
 よくよく考えれば明らかなんだけど,わかりやすく類型化してくれている.「がんばれ」と声をかけて欲しくない人もいる.「頑張って」という言葉で応援した気になって,自己満足しているだけだもんな.

自己満足な励まし
 「頑張れ」とは少しずれるが,自己満足に終始する励ましについて,こんな記事もあった.

 確かにこういう人いるな.「私は辛くないよ」「私も辛いよ」「私はもっと辛かったよ」と言われて元気を取り戻せるくらいなら,そもそも大した落ち込みではないだろう.そんなことを言われても何の解決にもならない.
 自分もそういう声のかけ方をしたことがあったような.恥ずかしい限りだ.単なる自己満足.

自省と心掛け

  • 辛そうな人・大変そうな人が身近にいても,安易に「頑張れ」と言わない.意識的に「頑張れ」を減らす.
    • 「頑張れ」に変わる,別の表現が欲しい.
    • でもオールマイティーな言葉はなさそう.その時々に応じた言葉を探すべきだろう.
  • 自分の経験を引き合いに出して励ましを試みるのは自己満足に終始することが多い.気をつけよ.