質問が生まれる素地を作るには?

 前の記事,質問するのは簡単じゃない(http://d.hatena.ne.jp/dropsound/20070129)の続き.前回は質問できない理由とその対策を何となく羅列してみた.今回は,前回言った「何か質問してやろうと思いながら発表を聞く態度」を培わせるには,どうしたらよいのかな,という提案.

質問を通して学ぶこと

 質疑応答は,質問する側もされる側も勉強になる場だ.質問される側は,自分の研究計画や実験結果を客観的に見直すことができる.質問する側は,自分の培ってきた論理的思考や経験則に基づいて,人のプレゼンを聞く.
 大学のゼミのように(企業の会議とかもそうなのかな?)若い人材を育てていくような場であるならば,若い者から順に質問させていくのはどうだろう? 的外れでも良いから,質問させるのだ.予めゼミの始まりのときなどに先生やゼミ係の学生から「今日は君,質問しなさい」みたいな流れを作る.そうすれば聞く側も「質問してやろう」「質問しなくちゃ」と真剣に聞く.
 はじめから的を射た質問をするのは難しい.だからこそ,先輩や先生の質問を聞くだけでなく,自分の経験を重ねるべき.

上記を踏まえて,ゼミ流れの提案

 発表 → 質問 → 議論 → 先生から見た総括,というスタイルを提案.質問は学年の若い順に.若い学年の質問があるうちは,上の学年は質問を我慢する(言いたいことがあっても!).そして,質疑応答も含めたゼミ発表時間に,60分とかの制限時間を設ける.このスタイルの利点は,

  • 的外れだろうが,質問せざるを得なくなる
  • 質問のタイミングがわからない,ということは無くなる
  • 時間制限があるから,「長引きそうで嫌だな」という理由で質問を避けることは無くなる

 ゼミを通して,話し足りない,議論が足りない,と思うのであれば,正規のゼミの時間が終わった後に,そういう時間を設ければよいだけの話.もっと発表したいことあるのに! ということであれば,回数を増やせばいいだけ.

強制力の是非

 さすがに,学部生にまで質問する態度を求めるのは難しいだろうから,修士の学生くらいには,そのレベルを求めても良いのではないかなあ,と.(理由はどうあれ)大学院に入ったのであれば,ある程度の論理的思考を学ぶべきだと思う.というか,教官側から学ばせないとだめなのかなあと.
 もちろん,学生側から自発的に,こういう態度が出てくれば良いに決まってる.そうあってほしいという希望もわかる.「大学院に来たのだから,自分からやりなさい」「どうしてあなたたちから質問しないのかな」と嘆くのは簡単.でもそれって言うほど簡単ではない.質問をしてやろう,という態度が身についてないからだ.
 だから,逆に言えば「金払って大学院に来てるんだから,質問の仕方くらい学ばせろ」「論理的思考の方法くらい伝授しろ」と学生から言われるのと,何も変わらないのではないかな.要求は理不尽に思えるだろうが,お互い様である.
 強制力をはたらかせるのは気分のいいものではないけれど,そういうルールだよ,と決めてしまえば良いのではないかと.

というわけで,まとめると

 質問が生まれる素地を作るには経験が必要なので,はじめのうちは「学生からも質問しなさい」という強制力が必要なのかも.そして,素地が出来上がっている上の人間(教官とかPD とか?)は,「我先に!」と質問せずに我慢する.