アドバイスのあり方

よくあるアドバイス
 後輩が作業に困っていたり,何かに悩んでいそうだったりすると,何となく声をかけたくなる.その状況を打破できるようにアドバイスしたくなる.発表資料の作り方・エクセルの作業量を減らすテクニック・ショートカットキーの使い方,の様な小手先の技術から,観測に向かう心構え・論文を書く上でのコツ・研究者としての資質,のような概念的なことなど(自分自身もそれらを分かる状況に至っているわけではないけれど).色々な物事を伝えることがある.
 伝えるアドバイスは,書籍やネット経由で入手したり,先輩方から受け継いだり,自分で編み出したり,など経由は様々であるが.自分の実体験を経ているものがほとんどだ.自分でやってみたらこんなに上手くいった → だから君にもおススメするよ.というパターンが多い.テクニックを使用したことで問題解決を導いた気持ちよさを伴うから,そのやり方こそが一番良いよ,と思うからだ.
 自分の今までを振り返ると,そういうアドバイスの仕方が多かったように思う.「○○が良いよ」「○○すべきだよ」と強制的・半強制的なアドバイスをしがちであった.

アドバイスしてあげる,という姿勢をなくす
 しかし,それは本当に一番であるかどうかは分からない.そのときの自分にとって一番だっただけで,それがあらゆる状況や自分以外の人物にも適用できるという保証はない.その後輩が置かれている状況(本人の価値観やスキル・悩むに至るバックグラウンド・取り巻く人間関係,など)と自分が解決したときの状況が,まったく同じということは無かろう.
 アドバイスをしたところで,その同じ方法で物事が解決しないこともある.そうなると小さな悲劇が起こる.アドバイスを受けた側から「なんだよ,意味無いじゃん」と信頼感を失うし,アドバイスをした側も「せっかくアドバイスしてあげたのに」と驕った姿勢になりがち.アドバイスする側はアドバイスに絶対感を持っては良くない.こちらが思うほどに,アドバイスが重要視されないこともザラ.
 そういう状況を踏まえて,アドバイスの仕方を変えようと心がけている.実体験を盲信するのは勘違いだ,ということを心に留めながら,「○○という方法もあるよ」「少なくとも自分は○○で解決できたよ」のように,選択の幅を広げるアドバイスに方針変更した.
 このアドバイスの仕方自体もいいかどうかは分からないけれど,自分はそうありたいと決めた.強いるやり方では人を育てるのは難しいなと考えるからだ.